おりおり

忘年会

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師走は、忘年会の季節でもあります。今年も、大小いくつかの忘年会が進行中です。


まず、東京国分寺市で「芸術」を鑑賞してから忘年会に突入です。

新宿の街は相変わらず雑多で活発でした。それなのに、会も終わり駅に向かう人波の中でふと感じる孤独、前川清の「東京砂漠」が聞こえてきました。あれっと思いましたがもう消えています。空耳でしょうか?

最近は、街角にイルミネーションが盛んですが、それらを見つめると寒々感が増して来るようです。彩りよりも電球色の暖かみが欲しいと思いました。

左は、お茶の水駅近くのSola Cityです。この辺は、すっかりオフィス街となっていて学生はあまり見かけません。ゆったりと会話を楽しめました。

 

 

 

 

右は、立川市のイルミネーションです。
地元での忘年会は帰りの心配が無用なところがありがたいです。来年も、いつまでも、いくつもの忘年会が開けることを望みます。

ひかりの中に秋の色

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ようやく秋らしい晴日がやってきました。そろそろコスモスが気になる頃になりました。このところ出番の少ないEOS M3を担いで出かけてきました。

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実は、先日CANON EOS学園で写真教室(初心者コース)を受講してきました。有料ですが、このカメラに特化した内容なので新橋まで出かけ学んできました。

デジタル化されて、機能のてんこ盛りになったことにより消化不良を起こしているとの認識があり、自己流では限界があると悟ったためでもあります。

プロ写真家先生の分かり易い説明で、それぞれの機能の持つ意味と使う場面とが良く理解できました。今回は、その実践も兼ねての試し撮りです。

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原画は、6000×4000ピクセルで撮影しました。今回掲載している画像の多くは、そこから1024×768あるいは2048×1536ピクセルで切り出してあります。

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やわらかな輪郭の花弁、おだやかな日差し、豊かな色彩に充分満足しています。入門用カメラであっても、ここまでの情報を取り込んでいるのですね。驚きました。

マクロでキッチリと精密に捉えるのも良いですが、適度にボケているのもほんわりしていて悪くないと自己満足しています。

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肝心の各種機能の使いこなしですが、いざという場合に操作方法を忘れていることに度々気がつきました。結局、もっとも多用したのはお任せモードでした。(笑) 最近のスマホといいデジタルカメラといい使いこなすのは難しいです。

[10月上旬 昭和記念公園 花の丘:(普通の)コスモス 東花畑:キバナコスモス]

秋の色・・・薬草園

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勤労感謝の日、とても良い天気でした。仕事の合間に近くの薬草園に行って来ました。前の日(22日)は、小雪(しょうせつ)でした。いちょうや柑橘類は黄色く色づき、紅葉が散り始める頃とのことです。そろそろ雪の便りも多くなってくるこのころ、関東では雲一つ無い澄み渡った青空に恵まれるようになります。

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DSC03462_01数多くの薬草の中では、秋に開花するもの、果実を赤や黄に熟させるものもたくさんあるようです。

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DSC03522_01冬にかけての花木には、春の華やかさは有りませんが、小粒な中に赤、黄、紫と純色が優勢でそれらが光を反射してキラキラ輝いています。

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帰りの道筋に、薬草園で見たばかりの草花を幾つか見つけました。玄関脇などに何気なく植えられていました。意外と身近にも薬草はあるのですね。もちろん薬草として手入れしているわけではないでしょうが。

紫陽花…三好達治

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アジサイの季節です。新緑の大きな葉と淡い色の花々は、6月という月にピッタリの花だと思います。

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誰にも、心像風景というものがあると思いますが、アジサイと聞くと何時も現れるのが紫陽花と言う言葉と次の詩(うた)です。

母よ--
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並木のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕日にむかって
轔々と私の乳母車を押せ

赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私はしってゐる
この道は遠く遠くはてしない道

三好達治  「乳母車」 『測量船』

 
この詩(うた)を口ずさむと、いつもある情景が目の前に広がります。
遠い山の稜線がくっきり見えています。沈みゆく日は、すべてを赤みを帯びた黄金色に包み込みます。一つの道が陽の沈む方向にまっすぐに続いています。何も遮るもののない静かな夕暮れです。そこを何処までも歩く自分がいます。同時に、その歩く自分を見つめる自分もまたそこにいます。

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遙か昔、高校の教科書で学んだ詩です。一つ一つの言葉とそれらが織りなすリズムとそれらが総体として醸し出す世界とが忘れられない記憶となったようです。
もちろんここで見えているシーンは、自分の別の原体験を重ねたものなので、この詩を解釈したものではありません。昔から大きく澄みわたる青い空や赤くまたは黄金色に染め上げる夕日とに特別な感情を抱く自分でした。

やはり、あじさいやアジサイではなく「紫陽花」で有りたいと思います。 ところで、上記「乳母車」の紫陽花は何色が似合うと思いますか? 自分は、赤みを帯びた青色と思っています。

一枚の写真

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何の変哲もない写真ですが、深い思いのこもった写真の一枚です。

探し物をしていたら、偶然この写真が出てきました。今年もまた受験の季節に入ろうとしているときに目にするのも何かの縁を感じます。

IMG_0001_112この写真の時は、もう少し下って4月の下旬のころ大学の新歓(新入生歓迎)行事の中で友人が撮ってくれたものです。
まだまだクラブ・サークルの勧誘が盛んにおこなわれていた土曜日、フォークダンス同好会の歓迎パーティに出席し汗をかいた後に芝生で休んでいるところです。

北国の春は遅く、この頃さくらが満開でした。心地よく火照った体を投げ出し思い切り伸びをしたその先は、どこまでも青く澄んでいました。柔らかな光は暖かく、そよ吹く風は優しく、鳥の声も何もかもが、ただただ自然でした。

この地での生活、何もかもが新鮮で、毎日毎日が楽しい発見でワクワクしていました。
時間はたっぷりあり、何の束縛もなくすべてに解放され自由でした。未来はこの手の中にあり、何の憂いも無い18歳の時でした。

モノクロのセピア色になりかけた一枚の写真ですが、あの時の光も、色も、匂いまでも少しも変わらずに再現します。