9月2013

気になる「宮本常一」

きままな読書

イザべラ・バードの「日本奥地紀行」を読む

この本は、民俗学者「宮本常一」さん主催、講読会での話をまとめたものとのことです。「日本奥地紀行」筆者のイザべラ・バードさんの目を通してみた日本の情景を宮本常一さんが語るということですが、民衆史の構築に尽力されていた稀有な民俗学者から語られると、生き生きと眼前にその情景が拡がる思いです。

忘れられつつある日本人、地域、暮らしに思いいたり、文化とは何かを考えさせられるお薦IMG_0002めの1冊です。

ここで取り上げている「日本奥地紀行」は、イザべラ・バードというイギリス人の女性が日本人通訳を一人つれて東日本と北海道とを旅する紀行文です。時代は、明治11年(1878年)のころです。イザべラ・バードは、来日前にも多くの国を旅している大旅行家の女性でこの時、47歳だったとのことです。

外国人、ましてや女性の一人旅であるので慣習からくるトラブルや乱暴者に襲われるなどの心配は当然持っていたが、結局その心配は全く無用であると認識することに関して、宮本常一は、江戸時代から女性の一人旅は特別珍しいことではなかったと語っています。今は、死語になりつつある「日本は世界一安全な国」は現実にあったのでしょうね。

また、どこに行っても「外国の女性」を見に村人がどっと出てくること、屋根にも木にも人があふれいつまでもジーとしていること、障子は用もなく勝手に開けるし、障子にあいた穴には幾つもの眼があることなどの記述からは、プライバシー意識の発達している西洋人には耐えられなかっただろうななどと思うと思わず笑ってしまいます。変化の乏しい日常にある村人にとっては、またとない娯楽なのでしょう。

 
このころの日本には、蚤(のみ)の大群が家にも道路にも満ち満ちていたとの記述を見ると体中にかゆみが走ります。まったく、蚤の存在は厄介ですからね。今、蚤で悩まされることがなくなったのは、DDTを大量使用した進駐軍最大の功績ではないでしょうか。

もちろん一般的にはものすごく貧しいのですが、ところによってはイギリス人の目から見てもユートピアと思えるような場所(米沢盆地)も存在することの記述があり、思わず、米沢=上杉=直江兼続と連想してしまいました。

その他、三味線に対する考察、北海道に渡ってからのアイヌ人に対する考察などイザべラ・バードの記述を起点に宮本常一が語る展開は「民衆史家 宮本常一」の面目く躍如たるものがあり思わず納得してしまいます。

知的好奇心を満たしてくれる一冊です。まずは、書店で立ち読みしてみたら如何でしょうか。平凡社ライブラリー(文庫本)です。