6月2015

定常経済

きままな読書

「定常経済」と言う言葉を目にする機会が多くなりました。現在、「経済成長」のみが、現在あるいは将来においる諸問題を解決すると声高に叫ばれています。本当にそうか? ここで上げた3冊は、いずれも「経済成長」には、さよならをしましょう。そして、新たな立脚点から社会を構築していきましょうといったものです。

これからの社会は、地球規模での「環境」の制約により「成長」が制約されると同時に、特に先進国では、人口減少と人口構成の変化の影響も受ける。(ここでの「環境」は、資源とその排出物を含む概念で「自然的制約」に近い。)このような環境下での「経済成長には代償が伴う」という認識が受け入れられる状況になってきているとしています。また、来たるべき将来の、持続可能な福祉国家・福祉社会は「経済成長至上主義から脱却して初めて実現できると説いています。自分あるいは、その子・孫たちの将来が気になる方には、特におすすめです。

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『定常型社会』は、なかなか難解な内容ですが、歴史的経緯から「環境・福祉・経済」を解きほぐしてあるので現在の立ち位置がよく判ると共に将来に持続することの難しさもよく判ります。
2001年発行の本ですが、それから15年近く経ち、指摘している内容は、ますますその確かさを増していると受け取りました。全体的に難解ではありますが、2章と4章は比較的分かり易くおすすめです。

 

 

 

 

 

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『「定常経済」は可能だ!』元世界銀行チーフエコノミストのハーマン・デイリーです。物質とエネルギーのスループットを再生可能な範囲内に落とすことで持続可能な経済が実現できると言っていると思います。定常経済とはどのようなものか?に対する回答が対談形式で書かれているので読み易いと思います。

 

 

 

 

IMG_0003-1_01『しんがりの思想』は、元阪大総長の鷲田先生の書です。哲学者らしくいろいろ示唆に富んだ内容があります。とっても平易に書かれているので空き時間等の読書にもおすすめです。

冒頭に、今の30年代後半以降の年代の人たちは、(経済の)「右肩上がり」を経験していない世代であるとあります。なるほどと思いました。現在の日本を動かしている世代は、「ゼロ成長など考えられない」人々であるから、現在及び将来の課題への施策が何かズレていると思われるのも当然と納得しました。
これから20年もすれば社会の中枢は、「右肩上がり」を経験していない世代となるので、打ち出される施策も大きく変わってくるでしょう。そこでの社会は、経済成長至上主義と決別した社会のはずです。

この書では、これまでは強いリーダシップを求め、市民は、そのリーダシップにお任せしていた。その結果、市民は行政におねだり、お願いするだけで、市民性(=地域社会の中で、自分たちに関わる公共的なことがらを共に考える)を失い、周囲とのコミュニティを遮断された個人になってしまった(=市民の無力化)。成長を目的としている間は、それも意味あり有益であったが、成長を失った社会では、上手く機能しない。
これからの社会は、お任せから脱却し(=脱リーダシップ)して市民性を奪還するフォロワーシップ(=しんがり)をしっかり努める人々が求められるようになるとしている。

成長神話の信奉者は、次の世代が経済を回すための需要を「経済成長」の名のもとで先取りしてしまい、あまつさえ法外な債務を未来社会に付け回ししようとしている。成長すれば何とかなるとの考えが根底に有るからと思う。資源の奪い合いを永遠に続けるつもりなのだろうか。変わらねば、と強く思う。