10月2015

満洲 –歴史に学ぶ

きままな読書

八月九月は、行政法とマイナンバー法の勉強ばかりしていました。行政法は、行政三法(行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法)に加えて幾つかの個別法です。マイナンバー法(略称です)は、事業主対応部分です。
ようやく一段落ですが、気合いを込めて勉強したので還元する方法を考えていきたいと思います。

勉強ばかりしていると、無性に本を読みたくなるのが自分の習性です。もちろん気楽に読める本が対象ではあります。今回読んだのは、”満洲”にかかわるものでした。

満洲暴走_01『満洲暴走 隠された構造』 とても読みやすく興味深い内容で、一気に読んでしまいました。読みやすいと行っても書かれている内容は、深く重いものでした。

満洲事変から日中戦争へ、そして太平洋戦争へと日本を滅亡に導いた流れを社会学的な視点からとらえています。冷静に国際情勢を見ている国民はもちろん、海軍も陸軍も国力の差を十分に認識していたにもかかわらず戦争へ、そして破滅へと向かってしまった。何故なのか?

本書では、ポジティブ・フィードバック(*)に入り込んでしまったこと。そして、この正のフィードバック(=暴走)を敗戦まで断ち切ることができずにいたこと。そこには、立場主義がはびこっていたことなどが書かれています。

満洲侵攻を契機として、この暴走が加速されていった。そして、以前紹介した『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』にあったようにその時々でいろいろな選択肢が有ったにもかかわらず破滅への道を止められなくなってしまった。一度暴走が始まると止めるのは至難の業であることがわかります。

ドイツでは、その民主的な内容と進んだ社会権の記述により、当時世界で最高の民主主義憲法であるとされていたワイマール憲法を持っていたにもかかわらずナチスが政権を握ってしまった。

気がついたときは、すでに遅く「全権委任法」により事実上憲法が停止され(ドイツ)、「治安維持法」で権利侵害が合法化され(日本)、自由権の制約・情報の管理を許してしまった。

民主主義も盤石ではなく、常に意識して監視していかないとあっけなく崩壊してしまうというのが歴史の教えるところです。
現在の日本はどうなのか? この兆候はないのか? 歴史は、この暴走を小さな芽のうちに摘んでいかないと取り返しがつかなくなると教えている。我々は、神経質なくらいに対応するのがちょうど良いと思う。

[(*)制御の分野では良く知られていることですが、入力に対して出力を正で戻すか負で戻すかにより正帰還と負帰還とがあります。正帰還の場合、増幅した出力をプラスして入力に加えます。すると次には、より大きな帰還となって入力に加わるようになります。これが繰り返されると発散します。つまり、系が不安定になります。負帰還の場合、入力を減らすように帰還が加えられるので系を安定な方向に向かわせることになります。ポジティブ・フィードバックループとは、正帰還のことです。帰還なので対策は、入力→増幅→出力→入力→ このループをどこかで断ち切れば、少なくとも暴走は止まることになります]

アカシヤ_01『アカシヤの大連』 清岡卓行の芥川賞作品です。満洲本を読んでいたので、たまたま書架にあった本書が懐かしく思わず手にしてしまいました。

身内に満洲の関係者はいません。そのため、記憶の中での満洲はこの作品でした。大連は、遼東半島の先端に位置し南満州鉄道の南端でもありました。昔の関東州であって南満州鉄道附属地とともに租借地だった。この程度の知識でした。

「アカシヤの大連」では、作者が生まれて育った国際都市”大連”への思いが青春の憂いとともに語られています。
だいぶ昔、この作品に描かれている作者と同年代の頃に読みました。その時から、アカシヤと大連は忘れずに記憶されています。
読み返してみると、青春の豊かな感性が美しい大連の情景とともに描かれていました。読みながら、自身のその頃を思い出しなつかしくもあり、あのみずみずしい感受性が無くなってしまったことが寂しくもありました。

満州国の南端の大連には、終戦の混乱はありますが満蒙開拓団のような悲惨さは無かったようです。34年ぶりに訪れた大連を題材とした作品も収められ作者の「大連」への思いがひしひしと伝わってきます。
大連-奉天-新京-ハルピンらの近代的な大都市と日本統治下の遺構の数々、ばく進する大型蒸気機関車あじあ号、国際色豊かな人々、そして地平線まで拡がる耕地と沈み込む真っ赤な太陽などなどと語られる満洲ではありますが・・。

満洲から長い戦争が始まり、そして日本国が崩壊した。そしてなお、いまもって満洲的なものは残っているとしています。「満洲的なもの」とは何か? 本書(『満洲暴走・・』)をお読みください。