まちかど

信州。。松代

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松代と聞いて群発地震と大本営巨大地下壕を思い浮かべる自分でした。今回、松代を訪れて深い歴史の地であることを知ることになりました。

松代は、川中島(犀川と千曲川が合流する三角地帯 上杉、武田の合戦で名高い)の南方に位置しています。また、松代藩真田家の本拠があったところです。

DSC04258_01松代駅です。正確には駅跡です。2012年4月に鉄道が廃止され、駅舎のみがそのまま残っています。ホームはありますがレールは全て撤去されていました。Google Earthで見ると鉄路をハッキリと確認できます。

DSC04262_01真田家の菩提寺「長国寺」です。真田信之(真田幸村の兄)が上田から松代に移ったのは徳川幕府成立後の1622年のことで、以来、300年間松代藩主でした。本堂には、有名な六連銭(六文銭とも)がしっかり見えます。

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DSC04268_01初代松代藩主真田信之公の御霊屋(重文)です。正面の唐破風の雌雄の鶴は左甚五郎作と伝えられているそうです。ご厚意により内部を拝観できたのですが、色彩豊かな彫り物や画を見ることができました。中でも、格天井の狩野探幽筆と伝わる天井画は見事なものでした。もちろん撮影は御法度です。

御霊屋の後方の一角に真田家代々の墓所があります。真田信繁(幸村)、幸昌(大助)父子の休養碑もありました。こちらは、流石にず~と下って大正三年の建立らしいです。

DSC04274_01松代城本丸御殿跡
松代城は、松代藩真田家の居城ですが、その前身は、”武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれた”とパンフレットにあります。

他に、長国寺には恩田木工民親(おんだもくたみちか)の墓所も有りました。恩田木工?でしたが後で調べると「日暮硯」とあり、そういえば昔読んだ記憶があるような無いようなでした。また、佐久間象山が松代藩士であったことも失念していました。事前に調べておけば良かったと反省しています。

DSC04311_01来年のNHK大河ドラマは「真田丸」らしいです。ドラマは、信繁(幸村)中心のようですが、真田家ゆかりの地として松代も賑わうことでしょう。

この後、長野市内に帰り宴会です。とても楽しい時間を持つことができました。

信州。。善光寺

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長野に行ってきました。長野県は、何度も訪れているのですが、長野駅で降りるのは初めてです。

長野駅に着いたのは、約束の時間の2時間前でした。初めての長野市なら、何はなくとも「善光寺」ですよね。信州そばで腹ごしらえをして善光寺に急ぎました。

ZEN001駅からほぼ一直線に参道があるので非常に判りやすいです。まずは、仁王門に着きました。仁王門から駅方面を見るとなだらかな坂になっているのがわかります。ZEN002仁王門には、「定額山」と大きく山号(さんごう)が書かれています。いよいよここからが境内です。

仁王門の次に「山門」があるのですが、仁王門と山門の間に仲見世があり、いろいろと面白そうな品々がありました。ZEN003_0

山門は桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門です。寛延3年(1750)に建立されましたとあります。当然国の重要文化財です。この門には、「善光寺」の額が掲げられているのですが、それを通称「鳩字の額」というらしいです。鳩が、5羽隠されているらしいですが流石に判別出来ません。ZEN004

山門から中に入ると、次は本堂です。調べると、「本堂は、間口23.89メートル、高さ25.82メートル、奥行き53.67メートルの規模をもつ江戸時代中期仏教建築を代表する大伽藍です。敷地面積では、国宝建造物の中では、東大寺大仏殿、三十三間堂に次いで3番目の大きさ」とあります。間口はそれほどでもないのですが、ずいぶんな奥行きがありました。ZEN005
今回は、時間の関係で一通りを見るだけとなってしまいました。本堂内の内陣から奥は、今回パスしているし、資料館他で歴史を楽しむことも出来なかったのが残念でした。

とにかく、駅から続くいわゆる門前の街並みの大きさから善光寺を中心とした繁栄が実感されました。今年は「ご開帳」の年でしたが、ものすごい人出だったと聞きました。

かわる街

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何時も利用している中央線の国立駅周辺が大きく変わって来ています。先日、駅舎内に『nonowa』が開店しました。

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中央線の三鷹~立川は2011年に高架化が完成したのですが、JRさんも商売上手で高架化により新たにできた広大な高架下空間を「エキ・まちをつなぐ」と称して活用するようになりました。コンセプトは、”「緑×人×街 つながる」 – 武蔵野の「わ」”ということで『nonowa』です。すでに、武蔵境、武蔵小金井などの駅では商用に入っています。kuni-01

 

大好きな、書店とカフェが入っているのは歓迎です。喫茶店は好きで、読書をしたり、あれこれ考えたり、仕事をしたりと大いに活用させてもらっています。kuni-03

最近駅北口に大きめの喫茶店が開店したので、ますます良い環境になってきました。kuni-04

 

これまで、土盛りの線路だったところに空間ができて歩けるようになりました。短くても、「道」というのは不思議ですね。何か新鮮な発見を期待してしまいます。kuni-05

 

『nonoma』第Ⅱ期開発の駅西側もそう遠くない時期に開設されるようです。これにより、人の流れが大きく変わると思われます。これまでは、単なる”駅”だったのがこれからは、”街”になるでしょう。

利用するようになった頃の国立駅周辺には、まだ雑木林が残ってました。今は、マンション林立の普通の東京の街になってしまいました。願わくは、「開発」は、駅周辺のみでおわって欲しいものです。「周辺開発」は迷惑なので。

街かどで音楽を JSF

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このところ定番となっているJSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台)
に今年も行ってきました。今回は、第24回 テーマは ~音・楽・希望への架け橋~でした。

いつものことですが、演奏会場(ステージ数)が46も有るのでほんの一部しか回ることができません。毎年同じような場所をうろうろしているような気もします。(笑)
また、今年は昨年に比べ参加者が多いようで、どのステージにも人が多く写真は人の頭ばかりを撮っている感じでした。フォトギャラリーも有ります ⇒ こちらから

jsf001メインとなる定禅寺通りですが、すでに多くの人が来ています。

jsf002一番町通りです。吉田拓郎の「今日までそして明日から」には、期せずして拍手..拍手でした。

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勾当台公園です。食べ物屋さんが多く出ていて人出が多いです。おなかも鳴ります。ここでは、高校生チャレンジステージでパワフルな女子高生ステージを鑑賞しました。

jsf005テンポの良いリズムに踊り出す人もいます。JSFらしくていい感じです。

jsf006メインステージは、ビックバンドですが座る場所もありません。ここはいつも、満員です。あちこちふらふらしている者には、すわる席などありません。

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おなかがすいたので昼食です。市民広場周辺には、いろいろなグルメが出ています。今回は、牛タン焼きと石巻焼きそばにしました。

 

jsf008何処もたくさんの人々で音楽は聴けても演奏を見て楽しむことは出来ません。昨年よりかなり多い感じです。

jsf009聞く人も一体となって盛り上がっています。このような雰囲気が大好きです。皆いい顔をしています。西公園です。

jsf010定番のジャズコンボですが、雨上がりの中しっとりと聞くことができました。毎年ここのステージが一番の好みです。

jsf011最後に、PPM(Peter,Paul and Mary)を懐かしく聞いて帰りました。

JSFも今年が24回で、来年は節目の25回です。今年は、76万人の方々の参加があったと報道で知りました。このような大きな催しを実行し参加している仙台市民に敬意を表したいと思います。四半世紀も続けばもはや文化といえると思います。良い文化を持っていますね仙台は…すばらしい街です。

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今年も、入手しました。ミニ・トートとガチャガチャ(ミニガンザと言うらしい)です。
お土産は、こちらも定番「笹かまぼこ」と「ずんだまんじゅう」です。

大高森~野蒜

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大高森は、松島湾の東側に位置し、昔から奥松島と呼ばれていた場所にあります。大高森は、その名のように標高約100mの高台にあり、最も松島らしい景観が楽しめる場所として知られています。特にここから見る夕日は絶景とも言われています。

DSC091301大高森から西方、松島湾を見ると昔見たのと変わらない同じ風景がありました。遠くの山々が船形連峰、”観光の松島”は右端近くの対岸になります。

DSC091302東の方を足下から見ていくと野蒜(のびる)の海岸が白い弧を描いています。そして、海岸から少し奥まったところには….何もありません。

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DSC091304大高森から野蒜駅まで歩くことにしました。がれきは、かたづけられ見た目何事もなかったかのようですが所々で津波のつめあとを見ることができます。

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階下が流されたのでしょう。その先には、工事中の堤防が見えます。大高森がある場所も一つの島になっています。ここが、そこを結ぶ橋ですが、流され仮設の橋となっているのがわかります。

DSC091309津波の到達ポイントでしょうか、7.2mとなっています。堤防を3m近く越えているのがわかります。海全体がこの高さになる・・・・・・。想像もできません。

DSC091310堤防の内側は、盛り土となっています。こう見るとずいぶんな高さであることがわかります。

DSC091311野蒜の海岸です。ここは海水浴場として賑わったところです。砂浜は残っていますが、今は誰もいません。

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若い人々の解放された喜びの歌は、今は何も聞こえてきません。想像することも出来ません。悲しいくらい静かな海がありました。

DSC091312山を削って延々とベルトコンベアーで運ばれてきた土で土地のかさ上げが行われています。巨大な重機が淡々と作業を続けていました。

DSC091313海岸から800mくらい奥に入った野蒜駅前の東名運河です。今はきれいになっていますが、ここを東の太平洋から西の松島湾に津波が駆け抜けています。

DSC091314欄干が、破壊されているのがわかります。遠くに土を運ぶベルトコンベアーが見えます。

DSC091315野蒜駅です。線路は駅の部分だけに残っています。この駅に電車が止まることは、もうありません。あの時からここは時間が止まっているのです。

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ここまで歩いてきた道筋に人が住み、営みがあったと知らしめるものはほとんどありませんでした。いつかあの賑わいは帰ってくるのでしょうか。道端の草花の鮮やかな色がとてもいとおしく思えました。

[大高森と野蒜は、宮城県東松島市にあります。松島湾側は、湾内の方が広い地形と湾の入り口付近の多くの島々により津波の威力が削がれたことによりほとんど被害はありませんでした。乗車したタクシーの運転手の話では湾内の海面上昇は1.5m程だったとのことです。一方、野蒜から石巻にかけての海岸線は遮るものもなく太平洋大津波を直接受けてしまいました。]

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