古民家

つれづれ

近くに川越道緑地古民家園というのがあります。今回、寄り道してみました。前から気にはなっていたのですが入るのは今回が初めてです。ちなみに立川市指定有形文化財でもあります。

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・入母屋造、茅葺き
・平面積 約200㎡(60.425坪)
その他は、次の平面図をご覧ください。

 

 

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入り口に説明があります。建築年代は、なんと嘉永5年(1852年)とのことです。あのペリーが浦賀沖に来たのが嘉永6年なので、その1年前となります。

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広々とした、オカッテです。いろりがあり火が入ってました。食事をしたり、家族が団らんしたり、親しい人と世間話をしたことでしょう。

 

 

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ザシキから屋根裏の階段が見えました。屋根裏は、蚕を飼っていたのに違いないと思い管理人(?)の方にお聞きしました。「そうだよ」とのことです。

 

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ザシキからナカノマ、トバノオクを見たところです。障子を外すと広大な空間ができます。

 

 

 

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オクです。大切な人を接待する部屋です。パンフレットによると「押し板形式の床の間、栁棚形式の違い棚、付書院形式の書院で、この家の格式を高めている」とのことです。確かに格式を感じます。

 

 

ダイドコロには、カマド、ウスなどの台所用品のほか農作業用品もありました。
左下はトウミ(初めて名前を知りました)、右下は脱穀機ですね。脱穀機は、稲から籾を分離し、トウミは籾殻を吹き飛ばし米を分離するものですよね。では、籾から米を取り出すには何を使った? 調べてみると、江戸時代は土臼(どうす、つちうす)を用いたようです。昭和初期には、もみすり機なるものが出てきたらしいです。
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棒打ちという作業の写真がありました。この道具は、実際に大豆をさやから取り出すのに使ったことがあります。写真の説明を見ると昭和四十年七月に伝承民謡保存一環として再現とあります。きっと、地方では昭和四十年代近くまでこのような作業があったのでしょうね。

 

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外廊下の作りですが、古いなどといった違和感はありませんでした。何故だろうと考えてみたら古いお寺の庫裡などは皆このような作りですよね。納得しました。

 

 

 

ゆったりした造り、広々とした庭を見ると生活のゆとりと豊かさかを感じます。しかしながら、このような住まいを持てる人はごく一部で有って多く人にとっては、もっとつつましい生活の場だったと思います。庶民の生活の場を残すような「民家」の保存は無いのでしょうか。端的に言えば、宮本常一の世界を大切に保存してほしいと願っています。

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