里山

きままな読書

このところ、「田舎」を考えています。ここに挙げた本なども一つのきっかけです。どちらかというと現代社会のアンチテーゼとしての側面の強い内容で有ると思っています。どの本にも、この閉塞感ある日本社会を再生するヒントが詰まっていると強く印象づけられました。お薦めの書籍です。

最近、気になる数値に出会いました。どれも新聞の短い記事だったのですが情報元を見ると、その内容は濃いものでした。
ひとつは、今年の3月国土交通省でまとめた~新たな「国土のグランドデザイン」骨子~です。
ここで、全国を《1k㎡メッシュ区分けした地点》で分析して、2050年に人口が現在(2010年の)半分以下になる地点が現在の居住地域の6割以上となり、その内の2割が無居住化するとなっています。今でも居住地点は国土の5割しかないのに、残った部分でもその6割は急激な人口減となるといっています
http://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html

もう一つは、6月の内閣府調査~2014年版「子ども・若者白書」~です。
ここの特集で、今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるものというのがあります。7カ国での意識調査ですが、「自分の将来に明るい希望を持っているか」・・・ダントツの最下位、「40歳になったときに幸せになっている」・・・これもダントツの最下位、「自分自身に満足している」「自分には長所がある」・・・これも最下位。
未来に希望を持てず、自分に自信が持てない日本の若者像がうかびあがります。
http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/hakusho.html

 

里山_1『里山資本主義』は、2014年の「新書大賞」なので書店でも見つけやすいと思います。
日本は資源の無い国と教えられてきました。そのため、輸入した原材料(資源)に付加価値をつけて世界に売る。これしか生きる道はないと一生懸命努力してきました。そして気がつけば、食料受給率は39%(カロリーベース)、68%(生産額ベース)[いづれもh24年度]となっています。
実体は、もっと悲惨な状態にあるのをご存じでしょうか。家畜の餌は、100%輸入だし肥料も原材料のほとんどが輸入、さらに農機具、漁船の燃料もほぼ100%輸入にたよっている現実、トータルの受給率は推して知るべしです。

温暖で豊富な水と肥沃な大地を持つ日本である筈なのに、これはなんとしたことでしょう。
里山は、持続可能な資源として水と食料とエネルギーを生み出すことができるとあります。激しく合点します。国外の政情・政策に左右される不安定さからできるだけ遠くに置く政治こそが国を守る基本と考えます。

田舎力_1

『実践!田舎力』は、地域で経済が回る仕組みつくりが豊富な実践経験に基づいて例示されています。ここでの「田舎」は、市街地も含めた広い概念ですが、いずれもが地域の特性を生かした取り組みです。明るい「田舎」が目に見えるようです。

ここで挙げた本で書かれているのは、行き過ぎた「マネー資本主義」を和らげる行為で有ると思います。「マネー資本主義」に毒されて、金の稼ぎで人間を判断してしまうような思考に陥りがちですが、”そんなことはありませんよ”と教えてくれる内容です。

「お金をぐるぐる回せば万事が解決する。」「インフレでもかまわんから成長だ。」と相変わらずのGDP神話に加えて、「残業代”0″」で働く意欲を削ぎ、一部の工業品輸出のために農産品を犠牲にするなどなど、何にかがおかしい、変だと思いませんか。

 

20140615_01『21歳の男子、過疎の山村に・・・』は、岩波のジュニア新書なのでとても読みやすくなっていました。ここでは、田舎での人と人とのつきあいの楽しさ、喜びが直に伝わってきます。
けれども読んだ後に「この後、家庭を持って子供が大きくなってきた場合を上手く乗り切れるだろうか」と心配になりました。理由は、田舎では生活コストは安いが「現金」が入ってこないことです。ご存じのように日本は、とてつもなく高い教育費を「現金」で負担しなければならない国にしてしまっているからです。要するに、田舎には苦手な現金が必要になってくるのです。

21世紀の中盤において、日本が「アメリカマネー資本主義の餌食になっているのか、あるいは他の国の人々を食い物にして繁栄を謳歌しているのか」そのどちらにもなっていて欲しくはないです。
「マネー資本主義」も必要ですが行き過ぎは、人々を消耗するだけと思います。「里山資本主義」と共存する着地点を模索していくことが今後の課題ではないでしょうか。

兼業農家として、懸命に田畑を支えてきた人々も高齢化世代になっています。もはや、わずかに残された少量の良質な田畑さえも維持できなくなって来ているのが現実だと描かれています。
兄弟が、友人がどんどん外に行くなかで踏みとどまって田畑を維持してきた方々に「高齢化村」「限界集落」などと言う社会というのはなんと冷たい社会なのでしょう。

21世紀の中盤においては、「都会」と「田舎」がシームレスにつながり、どちらにも自由に行き来できるそんな社会になっていて欲しいと願います。広大な敷地の整備された公園などに行っても少しも感動しません。人が住んでいないからです。

都会での生活にどっぷりつかっている自分は、田舎の現状を知っても何もせず、都会の劣化に仕方ないと思いつつも、後ろめたい気持ちを持っています。自分には、確かな田舎があったので。

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