カメラ片手に足利散歩

つれづれ まちかど

新しいカメラを手に入れました。念願の電子ビューファンダーも付けたので明るい外光の中でもバッチリピント合わせが出来るはずです。
説明書片手に、初撮りを行いました。さて、上手く撮れているでしょうか?ashi1-1

足利散歩

初撮りは、北関東の足利市となりました。
東武鉄道足利市駅を降りて、最初に男浅間山(せんげんやま)に行きました。駅から200mほどのところにある標高108.6mの山です。遠景がどのように写るか興味あるところです。

ashi1-2山の上には浅間神社があります。浅間神社では、毎年6月1日の山開きの日に初山祭り(ペタンコ祭り)が開催されます。この1年間に生まれた子の額に朱印を押す行事です。男の子は、この男浅間山に、女の子は近くにある女浅間山に行きます。

ashi1-3頂上より北側を見ています。眼下に流れる渡良瀬川に架かっている橋が「渡良瀬橋」です。森高千里が歌った『渡良瀬橋』で一気にメジャーになりました(と思っている)。

ashi1-4西側を見ています。川面の先に見えるのは恐らく榛名山です。赤城山、榛名山、妙義山のいわゆる上毛三山がこの方向に見える筈ですが、この日はハッキリとは見えませんでした。「渡良瀬橋」から見る夕日は、もちろんきれいでしょうが、この山から見る夕日は、ひと味違う雄大なものになると思われます。

ashi1-5南側は、大きく開け遠くまで見通せます。これから判るように、足利市は関東平野の尽きるところに位置しています。南側は、関東平野なので基本的に高い山はありません。北側は、日光連山から越後山脈へと深い山々が連なっています。

山を下りて「足利学校」に行ってきました。

足利学校の起源については、奈良時代や平安時代とするなどの諸説がありますが、全国に知られるようになったのは室町時代中期に関東管領上杉憲実の支援を得てからです。それから約1世紀後には、フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学…。」と海外まで伝えられるほどで、事実上日本の最高学府であったようです。歴史的建造物や保存されている経典の価値は高いと思われます。パンフレットなどを見ると「日本遺産認定! めざせ! 世界遺産」と威勢が良いです。ashi1-6学校門です。”寛文8年(1668)に創建され、現在、足利学校の象徴的な門”との説明があります。

ashi1-9足利学校での学問は、儒学が中心で易学、兵学なども行われていました。儒学であるので当然のごとく、大学門の内側には、孔子廟があり「孔子座像(こうしざぞう)」が祭られていました。”天保2(1832)年、画家の渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4(1535)年に彫刻、納められたことが明らかになっています。”との説明があります。座像のある廟内部は、大変暗いのですが、望遠でぐーと近づけてみました。期待以上に明るく撮れていました。

ashi1-7足利学校には、多くの国指定史跡があるのですが、個人的に今回一番の収穫は「旧遺跡図書館」があったことでした。明治以降の建物なので史跡としての価値はさほど高くないと思われますが、何と言っても思い出があります。

ここは、市の図書館として使われていました。当時は、閲覧室が付属していたと思います。高校3年の夏休み、受験勉強のために度々ここに通いました。当時はもっと大きな木々に囲まれていたためかすごく暑いという記憶は無いのですが、蝉の声がすさまじく気分的には暑かったあの夏の日々が鮮やかによみがえってきました。

実は、「足利学校」の価値は、文化財に有ると思っています。国宝およびそれに準ずる多くの書籍が残されています。毎年これらの書籍の「虫干し」がニュースになっていました。当時は、この図書館内に保管されていたと記憶しています。

今回は、大きめの写真としてみました。如何でしょうか?

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