まちかど

ブラ歩き・・・田無

きままな読書 まちかど

最近、坂や曲がりくねった道が妙に気になります。『東京スリバチ地形入門』を読んだことや”ブラタモリ”の影響を受けているようです。

suribati『東京スリバチ地形入門』は、東京は意外と凸凹の多いところであると気づかせてくれます。
都心は、武蔵野台地の東端にあたり、関東ローム層の豊富な湧水から流れ出る中小河川が土を削り、また人の手も加わりスリバチ地形が形成される場所が多く存在しています。
それらの場所を訪ね歴史と家並みなどを思案する楽しみを教えてくれています。”スリバチ”そこには、坂道や段々があり水場や池があり古くから人々の生活の場所があったところとも教えてくれています。

今回は別用で来たのですが、少し時間があったので駅近くをぶらぶらしました。

田無駅の北口を東側に降りると踏切があり、踏切を渡ると坂を下りるようになります。下りきったところに石神井川が有りました。

石神井川は、小金井公園北付近を水源として、西東京市から練馬に入り、緩やかに東北東に向かい板橋から王子を経て隅田川に流れ込む1級河川です。

dsc04880往時は、広やかな河岸を持っていたと思われますが、ここ西東京市田無付近では土手は無く両岸鉄補強の掘り割りとなっています。もちろん水辺など存在していません。残念ですが都会では仕方ないのでしょう。

ここしばらくは、雨模様だったのですが流れる程の水はありませんでした。

dsc04878近くに、調整池があります、南町調整池とありました。写真の右側が石神井川で、左側が調整池になります。増水時は、中央部を超えて池に流れ込むようになっています。
石神井川の構造からは調整池が必須のようです。帰ってから調べると、過去何回か大雨時に苦しんだとあります。調整池は幾つもあるようです。

dsc04884田無村のころ、この地点は、青梅道、所沢道の分岐点がある交通の要所で宿などもあり栄えたようです。青梅街道沿いに道しるべとしての庚申塔がありました。

なじみの少ない場所でも窪地や川、家並みと神社の位置などに想像がふくらみます。

これからは、予備知識を仕入れてから来るようにしましょう。

九月の第二週はお約束の日

まちかど

九月の第二週末は、お約束の日です。今年も仙台に行ってきました。

img_0200仙台駅では、駅の東西通路の拡張工事が終わり広々とした空間が出来ていました。

遙か昔、仙台駅東側には、由緒ある町の名とゴチャゴチャした街並みがありました。西側の近代的な街と違う暖かみのあるところが好きでした。今では、すっかり過去の物となりましたが・・。


地下鉄東西線

昨年暮れに地下鉄の東西線が運開しました。ミーハーぶりを発揮して乗って見ました。
川内駅~青葉山駅は、1区間ですが72.6mの高低差があり勾配は57/1000(1km走って57m登る)に達するとのことです。少し小ぶりな車体が、ぐんぐん登るのが判ります。

img_0202西の終点八木山動物公園駅は、日本一標高の高い地下鉄駅として認定されています。この駅の屋上の「てっぺん広場」からは、太平洋まで見通せるのが売りですが、この日は、あいにく雲が低く無理でした。
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JSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル)

9月の定番ですね。今年もいろいろと楽しんできました。

ビートルズは、名曲が多いですね。野外でのボサノバは解き放されたようで聞き惚れました。もちろん、JAZZはどのジャンルも充分堪能できました。

今年は、男性グループが多いように思いました。また、お年を召した方々が元気だったようにも思いました。

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夕刻、電飾の存在感が増すと共にステージもいよいよ盛り上がりますが残念ですが帰る時刻になりました。
来年も来ることができるとよいのですが・・・。

カメラ片手に足利散歩

つれづれ まちかど

新しいカメラを手に入れました。念願の電子ビューファンダーも付けたので明るい外光の中でもバッチリピント合わせが出来るはずです。
説明書片手に、初撮りを行いました。さて、上手く撮れているでしょうか?ashi1-1

足利散歩

初撮りは、北関東の足利市となりました。
東武鉄道足利市駅を降りて、最初に男浅間山(せんげんやま)に行きました。駅から200mほどのところにある標高108.6mの山です。遠景がどのように写るか興味あるところです。

ashi1-2山の上には浅間神社があります。浅間神社では、毎年6月1日の山開きの日に初山祭り(ペタンコ祭り)が開催されます。この1年間に生まれた子の額に朱印を押す行事です。男の子は、この男浅間山に、女の子は近くにある女浅間山に行きます。

ashi1-3頂上より北側を見ています。眼下に流れる渡良瀬川に架かっている橋が「渡良瀬橋」です。森高千里が歌った『渡良瀬橋』で一気にメジャーになりました(と思っている)。

ashi1-4西側を見ています。川面の先に見えるのは恐らく榛名山です。赤城山、榛名山、妙義山のいわゆる上毛三山がこの方向に見える筈ですが、この日はハッキリとは見えませんでした。「渡良瀬橋」から見る夕日は、もちろんきれいでしょうが、この山から見る夕日は、ひと味違う雄大なものになると思われます。

ashi1-5南側は、大きく開け遠くまで見通せます。これから判るように、足利市は関東平野の尽きるところに位置しています。南側は、関東平野なので基本的に高い山はありません。北側は、日光連山から越後山脈へと深い山々が連なっています。

山を下りて「足利学校」に行ってきました。

足利学校の起源については、奈良時代や平安時代とするなどの諸説がありますが、全国に知られるようになったのは室町時代中期に関東管領上杉憲実の支援を得てからです。それから約1世紀後には、フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学…。」と海外まで伝えられるほどで、事実上日本の最高学府であったようです。歴史的建造物や保存されている経典の価値は高いと思われます。パンフレットなどを見ると「日本遺産認定! めざせ! 世界遺産」と威勢が良いです。ashi1-6学校門です。”寛文8年(1668)に創建され、現在、足利学校の象徴的な門”との説明があります。

ashi1-9足利学校での学問は、儒学が中心で易学、兵学なども行われていました。儒学であるので当然のごとく、大学門の内側には、孔子廟があり「孔子座像(こうしざぞう)」が祭られていました。”天保2(1832)年、画家の渡辺崋山によって像の胎内銘が発見され、天文4(1535)年に彫刻、納められたことが明らかになっています。”との説明があります。座像のある廟内部は、大変暗いのですが、望遠でぐーと近づけてみました。期待以上に明るく撮れていました。

ashi1-7足利学校には、多くの国指定史跡があるのですが、個人的に今回一番の収穫は「旧遺跡図書館」があったことでした。明治以降の建物なので史跡としての価値はさほど高くないと思われますが、何と言っても思い出があります。

ここは、市の図書館として使われていました。当時は、閲覧室が付属していたと思います。高校3年の夏休み、受験勉強のために度々ここに通いました。当時はもっと大きな木々に囲まれていたためかすごく暑いという記憶は無いのですが、蝉の声がすさまじく気分的には暑かったあの夏の日々が鮮やかによみがえってきました。

実は、「足利学校」の価値は、文化財に有ると思っています。国宝およびそれに準ずる多くの書籍が残されています。毎年これらの書籍の「虫干し」がニュースになっていました。当時は、この図書館内に保管されていたと記憶しています。

今回は、大きめの写真としてみました。如何でしょうか?

今年も行きました・・・JSF

まちかど

JSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台)を、今年も楽しみました。第25回となる今年のテーマは「ボーダレス」、いろいろな意味合いで良いテーマと思います。
201509-00今年は、主にアカペラとジャズコンボをじっくり聴くことにしました。人出は、昨年より多いと思いました。「街角に音楽を」そのままに、どこも大変な盛況でした。

駅前のアカペラステージです。野外で聴くのはまた格別です。迫力があって、何よりも歌っている方々が心底楽しそうで見ている方も自然と手が動き足も動きます。201509-01

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毎年このステージでのジャズコンボを楽しみにしています。毎回、ぎっしりなので席に座るのは難しく後方での立ち見となります。楽器の構成もですが、曲分野もさまざまな本格的ジャズを楽しめます。

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ステージの合間に散歩しました。駅東口から、名掛丁を経由して新寺小路緑道を楽しんできました。
駅のすぐ東には、藤村広場があります。島崎藤村が、仙台で英語教師をしていた時に下宿した三浦屋旅館の跡地(一部)を広場として残されたとあります。あの有名な『若菜集』は、この地で発表されました。碑があります。

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さらに東に行き、目的地「新寺小路緑道」に入りました。新寺小路緑道は、その名の通り寺社と寺社の合間に続く小道です。約640mの大都会とは思えない静かな散歩道です。ここは、毎月28日に新寺こみち市が開かれているそうです。

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今回も、たくさんの音楽を堪能しました。そして、思い切りの笑顔にたくさんの元気をもらいました。お目当てのオフィシャルグッズは売り切れだったのが残念でした。

信州。。小布施

まちかど

不覚にも、「小布施」を知りませんでした。先輩から是非行きなさいと勧められ今回訪れました。
OBUSE001長野駅から30分少々、長野電鉄の小布施駅です。この日は、好天で”夏”到来を思わせる暑い日でした。

小布施町の紹介ページによると『鎌倉・室町時代に入ると小布施という名が史料に出てきます。千曲川の舟運が発達した江戸時代には、今も安市に面影を残す定期的な六斎市がたち、北信濃の経済・文化の中心として栄えました。幕末には、葛飾北斎や小林一茶をはじめ多くの文人墨客が訪れ、地域文化に花を咲かせています。』とあります。

小布施のすごいところは、単なる街並み保存ではなく、景観づくりからまちづくりへと持続的な努力をしていることにあると思います。これらは、「街並修景事業」で検索すると多くの報告が出ているのが判ります。

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奥の建物は、信用金庫です。景観に配慮しているのがわかります。

昔からの小道や、屋敷内の庭園を楽しむことも出来る。

昔からの小径や、屋敷内の庭園を楽しむことも出来ます。

 

 

 

 

 

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市神です。市(いち)の守護神です。さりげなく置いてあります。

北斎のアトリエだったところです。高山鴻山記念館

北斎のアトリエだったところです。六畳+床の間ほどでした。高山鴻山記念館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん街並みばかりでなく、歴史ある芸術・文化を展示する美術館・博物館の数々、地域特産の食の提供、大学との連携などなど盛りだくさんです。

美術館、博物館はたくさんあるのですが今回はこの3カ所としました。

美術館、博物館はおおくあるのですが今回はこの3カ所としました。

いろいろ資料に当たると、北斎館が小布施の中心施設のようです。『葛飾北斎が、地元の豪商、高山鴻山に招かれて小布施に来たのは83歳の時この時既に北斎は、肉筆浮世絵に移っていた。』 肉筆浮世絵は、キャンバスに浮世絵を描くので一点物となるところが、版画版の浮世絵とは大きく違います。北斎は、高齢にもかかわらず、製作欲旺盛で多数の作品を小布施に残したらしいです。
ラッキーなことに、ちょうどこの週から、シカゴ・ウエスタンコレクション「肉筆浮世絵」が開催されていました。北斎、歌麿、豊国、暁斎らの作品が堪能できました。

OBUSE013小布施駅ホームから北西を見ています。山に囲まれ、これぞ信州と魅せられてしまいます。雲の合間から遠く大きく妙高山が見えました。(写真では、雲に隠れています)

善光寺平のあちこちに豊かで確かなコミュニティの存在があったことを知らされました。明治以降、とりわけ戦後、「経済成長」のために都会に吸い寄せられ、このコミュニティを分断され、そして孤人となっていく現代人の救いのヒントがここにあるように思いました。

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