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満洲 –歴史に学ぶ

きままな読書

八月九月は、行政法とマイナンバー法の勉強ばかりしていました。行政法は、行政三法(行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法)に加えて幾つかの個別法です。マイナンバー法(略称です)は、事業主対応部分です。
ようやく一段落ですが、気合いを込めて勉強したので還元する方法を考えていきたいと思います。

勉強ばかりしていると、無性に本を読みたくなるのが自分の習性です。もちろん気楽に読める本が対象ではあります。今回読んだのは、”満洲”にかかわるものでした。

満洲暴走_01『満洲暴走 隠された構造』 とても読みやすく興味深い内容で、一気に読んでしまいました。読みやすいと行っても書かれている内容は、深く重いものでした。

満洲事変から日中戦争へ、そして太平洋戦争へと日本を滅亡に導いた流れを社会学的な視点からとらえています。冷静に国際情勢を見ている国民はもちろん、海軍も陸軍も国力の差を十分に認識していたにもかかわらず戦争へ、そして破滅へと向かってしまった。何故なのか?

本書では、ポジティブ・フィードバック(*)に入り込んでしまったこと。そして、この正のフィードバック(=暴走)を敗戦まで断ち切ることができずにいたこと。そこには、立場主義がはびこっていたことなどが書かれています。

満洲侵攻を契機として、この暴走が加速されていった。そして、以前紹介した『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』にあったようにその時々でいろいろな選択肢が有ったにもかかわらず破滅への道を止められなくなってしまった。一度暴走が始まると止めるのは至難の業であることがわかります。

ドイツでは、その民主的な内容と進んだ社会権の記述により、当時世界で最高の民主主義憲法であるとされていたワイマール憲法を持っていたにもかかわらずナチスが政権を握ってしまった。

気がついたときは、すでに遅く「全権委任法」により事実上憲法が停止され(ドイツ)、「治安維持法」で権利侵害が合法化され(日本)、自由権の制約・情報の管理を許してしまった。

民主主義も盤石ではなく、常に意識して監視していかないとあっけなく崩壊してしまうというのが歴史の教えるところです。
現在の日本はどうなのか? この兆候はないのか? 歴史は、この暴走を小さな芽のうちに摘んでいかないと取り返しがつかなくなると教えている。我々は、神経質なくらいに対応するのがちょうど良いと思う。

[(*)制御の分野では良く知られていることですが、入力に対して出力を正で戻すか負で戻すかにより正帰還と負帰還とがあります。正帰還の場合、増幅した出力をプラスして入力に加えます。すると次には、より大きな帰還となって入力に加わるようになります。これが繰り返されると発散します。つまり、系が不安定になります。負帰還の場合、入力を減らすように帰還が加えられるので系を安定な方向に向かわせることになります。ポジティブ・フィードバックループとは、正帰還のことです。帰還なので対策は、入力→増幅→出力→入力→ このループをどこかで断ち切れば、少なくとも暴走は止まることになります]

アカシヤ_01『アカシヤの大連』 清岡卓行の芥川賞作品です。満洲本を読んでいたので、たまたま書架にあった本書が懐かしく思わず手にしてしまいました。

身内に満洲の関係者はいません。そのため、記憶の中での満洲はこの作品でした。大連は、遼東半島の先端に位置し南満州鉄道の南端でもありました。昔の関東州であって南満州鉄道附属地とともに租借地だった。この程度の知識でした。

「アカシヤの大連」では、作者が生まれて育った国際都市”大連”への思いが青春の憂いとともに語られています。
だいぶ昔、この作品に描かれている作者と同年代の頃に読みました。その時から、アカシヤと大連は忘れずに記憶されています。
読み返してみると、青春の豊かな感性が美しい大連の情景とともに描かれていました。読みながら、自身のその頃を思い出しなつかしくもあり、あのみずみずしい感受性が無くなってしまったことが寂しくもありました。

満州国の南端の大連には、終戦の混乱はありますが満蒙開拓団のような悲惨さは無かったようです。34年ぶりに訪れた大連を題材とした作品も収められ作者の「大連」への思いがひしひしと伝わってきます。
大連-奉天-新京-ハルピンらの近代的な大都市と日本統治下の遺構の数々、ばく進する大型蒸気機関車あじあ号、国際色豊かな人々、そして地平線まで拡がる耕地と沈み込む真っ赤な太陽などなどと語られる満洲ではありますが・・。

満洲から長い戦争が始まり、そして日本国が崩壊した。そしてなお、いまもって満洲的なものは残っているとしています。「満洲的なもの」とは何か? 本書(『満洲暴走・・』)をお読みください。

今年も行きました・・・JSF

まちかど

JSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台)を、今年も楽しみました。第25回となる今年のテーマは「ボーダレス」、いろいろな意味合いで良いテーマと思います。
201509-00今年は、主にアカペラとジャズコンボをじっくり聴くことにしました。人出は、昨年より多いと思いました。「街角に音楽を」そのままに、どこも大変な盛況でした。

駅前のアカペラステージです。野外で聴くのはまた格別です。迫力があって、何よりも歌っている方々が心底楽しそうで見ている方も自然と手が動き足も動きます。201509-01

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毎年このステージでのジャズコンボを楽しみにしています。毎回、ぎっしりなので席に座るのは難しく後方での立ち見となります。楽器の構成もですが、曲分野もさまざまな本格的ジャズを楽しめます。

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ステージの合間に散歩しました。駅東口から、名掛丁を経由して新寺小路緑道を楽しんできました。
駅のすぐ東には、藤村広場があります。島崎藤村が、仙台で英語教師をしていた時に下宿した三浦屋旅館の跡地(一部)を広場として残されたとあります。あの有名な『若菜集』は、この地で発表されました。碑があります。

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さらに東に行き、目的地「新寺小路緑道」に入りました。新寺小路緑道は、その名の通り寺社と寺社の合間に続く小道です。約640mの大都会とは思えない静かな散歩道です。ここは、毎月28日に新寺こみち市が開かれているそうです。

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今回も、たくさんの音楽を堪能しました。そして、思い切りの笑顔にたくさんの元気をもらいました。お目当てのオフィシャルグッズは売り切れだったのが残念でした。

復旧に汗

パソコン

このホームページは、WordpressというCMS(content management system)を使って運用しています。そして、Wordpressの持つマルチサイト機能を使って複数サイトを立ち上げています。

先日、もう一つのサイトを立ち上げようとしてサブドメインを追加する処理を行いました。しばらく作業していなかったのにもかかわらず、昔行った時の資料確認もろくにしないでサイト追加を進めたのが失敗でした。DSC04612_01

作業を終えて再立ち上げ。あれ~、真っ白画面。気を取り直して別なサイトへ、同じく真っ白画面。不吉な予感が・・・。   ・・・全滅でした。

サーバ事業者に問合せしたり、ネットで情報を集めたりしてから、復旧の作業にとりかかりました。
さいわいにして、レンタルサーバ業者とは、バックアップの契約をしていました。15日毎に7世代分までが保持されているはずです。今回は、当然直近のバックアップデータが使えます。

早速、バックアップとして保存されているデータをダウンロードして手元で見てみました。データベースのpostテーブルに投稿されたデータが格納されているのが見つかりました。これを確認して、大切なコンテンツは残されているので上手くすれば復元できそうだとようやく安心しました。

手元で幾つかの項目を確認した後に、いよいよ本番適用です。まず、CMS本体を書き戻しました。次にデータベースの復元を行います。これも正常に終わりました。でもサイトアクセスに失敗します。何故かな~と10日ほど悩みました。

結果として、マルチサイトの設定が未設定の状態になっていたためでした。修正して上手く動きました。結局、投稿一本の消失被害で済みやれやれと云ったところです。

教訓
・バックアップは、大切です。自前でのバックアップは、手抜きしそうなのでバックアップ契約をしておくのが良いと思います。意外と安価です。
・作業記録、設定項目は整理して残して置きましょう。今回の事例では、過去の資料を引っ張り出しても「何故?」が書かれていないため確認に時間がかかりました。

これからは、パソコンの保守とホームページのサポートを強化しようと考えていたので良い勉強になりました。

オーディオ試聴会

オーディオ

先日は、コンサートに行きそびれてしまいました。その代わりでもないですが、オーディオ試聴会に行ってきました。場所は、何時もの西東京市の「コール田無」です。ここでの開催は、近場なので大変ありがたいです。

今回は、いわゆるビンテージ(Vintage)物でした。主役は、スピーカのシーメンス オイロダインです。これを、本物のWE300Bで鳴らすとどんな音が出るのか大変興味がありました。

中2つがオイロダイン、両端がJBLのすぴーかーです。

中2つがオイロダイン、両端がJBLのスピーカです。

音楽ソースは、ほとんどがLPで時にテープまれにCDといった感じでした。主催者とっておきの名演奏盤ばかりのようです。

システムは、
主 プリアンプ  金田式DCプリ
メインアンプ WE300Bシングル
スピーカ   シーメンス オイロダイン
従 プリアンプ  金田式DCプリ(主と同じ回路)
メインアンプ 金田式A級50W×3(マルチアンプ)
スピーカ   JBL 3WAY

オイロダインの情報をネットなどで集めると絶賛の嵐でした。皆さん、究極のスピーカであるとおっしゃられています。オイロダインは、劇場用の音響システムらしいですが能率が良いので8Wクラスの真空管アンプでも十分な音量になるようです。

オイロダインです。畳2枚(1坪)ほどの平面バッフルです。大きいです。

オイロダインです。畳2枚(1坪)ほどと思える平面バッフルです。大きいです。

裏側はこんな感じ。鉄枠にしっかり固定されています。さすが、プロ機は違うと思わせます。

裏側はこんな感じ。鉄枠にしっかり固定されています。さすが、プロ機は違うと思わせます。

アンプは、伊藤多喜男さん設計を忠実に再現したもの。途中から、1960年台のWE300B(これが最高らしいです)に差し替えられました。結果は。。駄耳には難しいですが、心なしか安心して聞けるようになったような気がしました。

WE310A+WE300B+WE274BのいわゆるWE91B回路でしょうか。

WE310A+WE300B+WE274BのいわゆるWE91Bと思われます。

全体的に、1960年台から1970年台前半の頃でしょうか。バリバリの現役で使っているので、それぞれを大切に扱っているのがよく判りました。

プリアンプです。ケースマイカにスチコンのパラ接続、MC用トランスなど金田式初期の設計。

プリアンプです。ケースマイカにスチコンのパラ接続、MC用トランスなど金田式初期の頃の設計です。懐かしいです。

テープは、2トラ38(2トラック38cmスピード)オープンデッキ。これも、プロ用機とのこと。

テープは、2トラ38(2トラック38cmスピード)オープンデッキ。これも、プロ用機とのこと。

オイロダイン・システムを初めて聞いたのと現代風のシステムとは大きく違う音なので戸惑いもありましたが、しばらく経つと流石にハットとする場面が多くなりました。音楽ソースもLPなので、このシステムに適しているのでしょう、生き生きと再現していました。

DCアンプ+JBLは、演奏前や曲間の静かさが印象的でした。

どう見ても、手の届かない機器ばかりでしたが、3時間超良い経験をさせていただきました。

信州。。小布施

まちかど

不覚にも、「小布施」を知りませんでした。先輩から是非行きなさいと勧められ今回訪れました。
OBUSE001長野駅から30分少々、長野電鉄の小布施駅です。この日は、好天で”夏”到来を思わせる暑い日でした。

小布施町の紹介ページによると『鎌倉・室町時代に入ると小布施という名が史料に出てきます。千曲川の舟運が発達した江戸時代には、今も安市に面影を残す定期的な六斎市がたち、北信濃の経済・文化の中心として栄えました。幕末には、葛飾北斎や小林一茶をはじめ多くの文人墨客が訪れ、地域文化に花を咲かせています。』とあります。

小布施のすごいところは、単なる街並み保存ではなく、景観づくりからまちづくりへと持続的な努力をしていることにあると思います。これらは、「街並修景事業」で検索すると多くの報告が出ているのが判ります。

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奥の建物は、信用金庫です。景観に配慮しているのがわかります。

昔からの小道や、屋敷内の庭園を楽しむことも出来る。

昔からの小径や、屋敷内の庭園を楽しむことも出来ます。

 

 

 

 

 

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市神です。市(いち)の守護神です。さりげなく置いてあります。

北斎のアトリエだったところです。高山鴻山記念館

北斎のアトリエだったところです。六畳+床の間ほどでした。高山鴻山記念館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん街並みばかりでなく、歴史ある芸術・文化を展示する美術館・博物館の数々、地域特産の食の提供、大学との連携などなど盛りだくさんです。

美術館、博物館はたくさんあるのですが今回はこの3カ所としました。

美術館、博物館はおおくあるのですが今回はこの3カ所としました。

いろいろ資料に当たると、北斎館が小布施の中心施設のようです。『葛飾北斎が、地元の豪商、高山鴻山に招かれて小布施に来たのは83歳の時この時既に北斎は、肉筆浮世絵に移っていた。』 肉筆浮世絵は、キャンバスに浮世絵を描くので一点物となるところが、版画版の浮世絵とは大きく違います。北斎は、高齢にもかかわらず、製作欲旺盛で多数の作品を小布施に残したらしいです。
ラッキーなことに、ちょうどこの週から、シカゴ・ウエスタンコレクション「肉筆浮世絵」が開催されていました。北斎、歌麿、豊国、暁斎らの作品が堪能できました。

OBUSE013小布施駅ホームから北西を見ています。山に囲まれ、これぞ信州と魅せられてしまいます。雲の合間から遠く大きく妙高山が見えました。(写真では、雲に隠れています)

善光寺平のあちこちに豊かで確かなコミュニティの存在があったことを知らされました。明治以降、とりわけ戦後、「経済成長」のために都会に吸い寄せられ、このコミュニティを分断され、そして孤人となっていく現代人の救いのヒントがここにあるように思いました。

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